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不二家レストラン1号店と言われている横浜センター店は、JR関内駅から徒歩5分。伊勢佐木モールに入って割とすぐの場所。不二家の発祥地は数寄屋橋ではなく、横浜の元町だったのですね。
ファミリーレストランの発祥は、1970(昭和45)年開店のすかいらーく1号店である国立店(現ガスト)と言われていますが、不二家さんの歴史を知ると、ちょっと待て!と言いたくなるかもしれません。
不二家のHPによると、1910(明治43)年11月創業。当時25歳だった創業者・藤井林右衛門が、自身の「藤井」姓、外国人にも知られている日本一の高さを誇る「富士山」にちなんだそうですが、「二つとない存在でありたい」という願いと気概も「不二」に込められているそうです。この時代はそういう名付けが多いですね。
このとき元町に洋菓子店を開店し、季節柄12月からはクリスマスケーキ発売。
1914(大正3)年に元町店の隣に喫茶店を新設し、「ソーダ・ファウンテン」と名付けます。
1922(大正11)年1月には、伊勢佐木町店開店。ショートケーキ発売(1個8銭)伊勢佐木町店はシュークリームなどの販売もしていて好評を得ていたところ、1923(大正12)年9月の関東大震災によって、銀座、伊勢佐木町、元町の各店焼失してしまいます。
残念ながら元町店は閉店しましたが、翌年から銀座、伊勢佐木町店をバラック建てで再開したそうです。1937(昭和12)年に伊勢佐木町店(現横浜センター店)が新築開店します。
建物は、山手西洋館のひとつ「エリスマン邸」を設計したチェコ人の建築家レーモンドのポストモダニズム建築です。
当時は喫茶店とレストランの区別が今とは違うのかもしれないし、不二家レストランは、当時は今みたいなファミレスではなく、継続しているうちにファミレスになったのかもしれません。
なので、ここが不二家レストランの1号店だとも、ファミレスの1号店だとも言い切れないところがモヤモヤしますが、町でよくみかけるあのペコちゃんのお店がこんな老舗だったとは。
また、誰でも知ってるハートチョコレートは、1935(昭和10)年に発売されたとか。そんなにロングセラー商品だったことにも驚きました。調べてみるものです。
店内には、当時の写真などが飾られています。これも1号店ならではでしょうか。
不二家というと、このマークと店構えでしたね。
レストランの内装は何度も改装されていますが、ドリンクバーのガラス越しに見える、キッチン上部には、開店当時の壁画が残されていました。
レトロと言っていいかは微妙ですが、今どきのファミレスとは趣きの異なる内装で、1980年代みたいな感じ??
ペコちゃんが誕生したのは、1950(昭和25)年。翌年、ペコちゃんのボーイフレンドとして「ポコちゃん」誕生します。弟ではなかったのですね。「常にカップル」なのは、アメリカ文化の影響でしょうか。
ちなみに、ポコちゃんが生まれた年に、ミルキーも誕生しています。
今のペコ&ポコはバランス取れているけど、昔のペコ&ポコのカップルは、どうして互いが惹かれたのかと思うような、すごい組み合わせな感じします。
多くの人が1号店だと誤解している数寄屋橋店は、1953(昭和28)年
11月の開店だそうです。
日本がだんだん豊かになっていくにつれ、さまざまな商品ができてきます。
- 1954(昭和29)年:ポップキャンディ、パラソルチョコ発売
- 1962(昭和37)年:ルックチョコレート発売
- 1964(昭和39)年:ネクター発売
全部知ってる、全部食べたことあるけど、そんなに古かったんですね(笑)。
不二家の歴史
https://www.fujiya-peko.co.jp/company/company/history.html
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【追記:2023年8月】
8月20日に閉店、86年の歴史に幕を閉じました。理由は建物の老朽化。
1937(昭和12)年、チェコの建築家アントニン・レーモンド設計で竣工して以来、おいしい洋菓子屋さん&レストランであることはもちろん、ランドマーク的にも、不二家最古の店舗としても親しまれていました。
唯一、戦後はGHQに接収され、進駐軍兵士の食堂(?)みたいな感じで使われていたことを除けば、昭和、平成、令和の3つの時代、人で言えば4~5世代くらいの人達に愛されていたお店だったのですよね。
建物を撮影しておけばよかった(暗いのと人がいて取りにくくて取れませんでした)。
解体する前に撮れるといいな。
長い間、お疲れさまでした。
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