横浜市営地下鉄ブルーライン・伊勢佐木長者町駅から徒歩5分くらいの場所、横浜市南区永楽町にある「永楽湯」さんは、1951(昭和26)年。レトロ銭湯といえども、最近はあまり見かけなくなった「サウナ」が付いています。
また、黒湯もあります(残念ながら、現在はポンプ故障のため薬湯です)。
東京の山谷、大阪の西成と並んで、日本3大ドヤ街のひとつである寿町にも近いことから、近寄り難いイメージのエリア。
歴史を紐解くと、1958(昭和33)年に赤線が廃止されるまで、横浜で最長かつ最大規模を遊郭「永真遊郭」があった場所だそうです。
永楽町と真金町にまたがる区域にあったため「永真」と付けられ、その広さは2万坪(約6万6000平方メートル)くらいあったとか。
このあたりだけ、碁盤の目のように道路が通り、植込みのある道は全部昔遊郭があったところだそう。また、1970年代になると、遊郭というより、戦後を想像させるダンスホールや洋風建物、凝った作りの和風建築の料亭も残っていたとか。
時代や町の風景もどんどん変わり、現在は、Lホテル、コインパーキングが目立つものの、比較的新しいマンションも乱立、その中にポツンと平屋建てのレトロな建物が「永楽湯」さん。
タイムスリップ感がすごい。
時代と共に遊郭街の面影が消え、客層も随分変わっただろうなあ、と想像します。
男性客の出入りがすごく多いけれど、昭和っぽく言うなら「勤め人」風の人たちも結構いました。女湯には、お年寄りもいたけれど中高年の方が多く、外国人が半分くらい。都内の銭湯とは雰囲気が違います。
かつては日雇い労働者や港湾関係者、893さんもが多く、女性客は水商売の人が多かったそうです。
レトロな銭湯には珍しく、ペンキ絵がありませんでした。
永楽湯HP
http://www.tubokawa.co.jp/
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<編集後記>
赤線の内側がどんな世界か想像つかないけれど、廃止されてもしばらく、昼間はともかく夕方以降は普通の女性は通れなかったそう。また、遊郭とは全く関係がなくても、この辺りの出身であることを隠す女性も多く、「言いづらさ」は何と昭和40年代に生まれた人でも感じていたそう。
随分時間が経っているし、この程度の暗い道なら珍しくないのに、先入観か、刻み込まれた歴史のせいか、何となく歩きづらさを感じる人もいるかもしれません。感覚的にざわっと来る方は、明るいうちに来られたがいいかもしれません。
また、永楽町は社会主義者の労働運動家・荒畑寒村さんの出生地でもあるそうです。幼い目で彼は何を見ていたのも気になりました。横浜の歴史ってすごいですねぇ。
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