映画|ペーパーシティ~東京大空襲の記憶/シアター・イメージフォーラム

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1945(昭和20)年3月10日の「東京大空襲」町が寝静まった午前0時過ぎ、アメリカ軍の爆撃機によって下町が焼かれ、東京の4分の1が焼失、10万人を超える死者を出した史上最大の大空襲でした。もう70年以上も前のこととはいえ、空襲があった痕跡も継承の施設も少なく、この時期になっても話題にのぼることも少なくなりました。


オーストラリア出身の映画監督さんが、東京大空襲の生存者たちを取材したドキュメンタリーが順次上映されています。ただ、東京の話なのに、東京では渋谷の「シアター・イメージフォーラム」でしか上映されていないようです。

 

監督のエイドリアン・フランシス(Adrian Francis)さんは、1974年オーストラリアの生まれ。2000(平成12)年に来日して以来、東京に住み続けて来たものの、しばらくの間「東京大空襲」のことを知らなかったそうです。知ったときは衝撃を受け、また誰もが知る追悼施設がないことも不思議に思ったとか。

映画製作のきっかけは15年前。2003年公開のアメリカのドキュメンタリー映画「フォッグ・オブ・ウォー ~マクナマラ元米国防長官の告白(The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara)」を観たこと。
マクナマラといえば、世界銀行の総裁やアメリカ国防長官として知られていますが、経営管理の理論を戦争に応用し、攻撃効率を高めるため、統計を取って分析した人でもありました。彼の報告書を元に日本に無差別絨毯爆撃は行われていたそうです。(ベトナム戦争では、攻撃拡大を主張する軍部を抑え、大統領とともにベトナムから米軍を完全撤兵する決断を下していたりします)。

※こんなことからも、当時の日本軍との差が伺えます。東京大空襲を指揮命令したカーティス・E・ルメイ少将もあるインタビューの中で爆撃について「effective」という言葉を用いています(こういうときに使われたくない言葉です)。


まず、追悼施設はどうしてるのかというと、関東大震災の犠牲者を追悼する施設(横網公園にある東京都慰霊堂)に間借りをするような形で存在し、3月10日に慰霊大法要式典が行われています。それ以外では、町のいたるところに、有志で建てられた小さな観音像や石碑があるくらい。焼け跡や機銃掃射の痕が残る建築物も数えるほど。



何より、国は、亡くなった人の数も名前も調べておらず、 命を落とさなかった民間人にも何の補償もありません。国や行政はこの数十年間、一体何をしてきたのだろう?



そこでフランシスさんは映像の力で、東京大空襲のことを世界に知らせるようと、民立民営の資料館に足を運び、東京空襲犠牲者遺族会にも連絡して高齢の戦争体験者の紹介を受け、カメラを回したそう。6年もかけて。

 

こうした悲劇を生き延びてきた、星野弘さん、清岡美知子さん、築山実さんの3名の言葉だけでなく、表情、言葉の「間(ま)」などを見聞きしていると、かなりつらいものがあります。まったく記憶群が違うのだろうと思います。



当時まだ未成年だった彼らが、そのつらい記憶を抱えたままどんな気持ちで生きてきたのか。映画は観られなかったとしても、戦争体験者の話はどこかで聞いて欲しいなあと思います。こう言うと、「知ったら戦争を防げるわけ?」と言う人が一定数いますが、知っただけでは防げないとは思います。個人個人は本当に無力。
でも知らなかったら、次の行動ができません。防げないからといって知ったり伝えていかなくていいわけでもなく、こんなにひどいことはもうしてはいけないと強く感じる人が、世の中に増えていくことと、減ってしまうことと、どちらがよい未来になるでしょうか。

いつどんなことがあったのか大局を知ることも大事だけれど、実際にその時代を生きた人たちの声を聞くことって、すごい歴史の勉強になるんじゃないかなあ。


【公式サイト】ペーパーシティ~東京大空襲の記憶
https://papercityfilm.com/?lang=en(英語)
https://papercityfilm.com/jp/?lang=ja(日本語)


東京大空襲: 昭和20年3月10日の記録 (岩波新書 青版 775)

決定版 東京空襲写真集 アメリカ軍の無差別爆撃による被害記録




【おまけ】

シアター・イメージフォーラム
四谷にあった映画館「シネマテーブル」を移転する形で、2000(平成12年)に開館。個性的な建物は建築家・高崎正治の設計だそう。



 イメージフォーラムさん自体は、1977(昭和52年)に設立。実験映画の制作・配給・上映、さらに映像作家育成の講座を開設していた団体「アンダーグラウンド・センター」が前身だそう。なので、映像関係の方にはおなじみかもしれません。一般の映画ファンとしては、ミニシアターとして上映スケジュールをチェックするのみですが・・。
 
 


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<編集後記>
こうして語れるのは「生きている」からで、あの空襲で亡くなった人たちには、語ることができません。体験者もだんだん少なくなり、体験者から直接話を聞いた人、彼らに育てられた人にバトンは渡されます。体験をしていないものをどう継承していくのか。
記録や継承については、東京都が約300人の体験者の証言をビデオテープに収録したものがあるそうですが、何故か公開されていないようです。民間人や民間が頑張って何とか記録され、忘れ去られないようにしているので、ありがたい映画です。日本とか東京という枠を超えて、世界にもっと知られていい歴史だと思います。







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