最近あちこちで再開発が進み、昭和の名作ビルも解体され始めています。有楽町駅前も1960年代に建てられたビルが多いので、少しずつ記録中。
1966(昭和41年)竣工の「国際ビルヂング」。このビルの中に帝国劇場が入っているように見えて、実は合築、設計者も違うのだとか。
一般庶民は、どこからが帝劇ビルとかいちいち気にしていないこともあって、「国際ビルヂングの中に帝劇がある」とか「国際ビルヂングの別名(愛称)が帝劇ビルである」とか「あのビルって帝劇ビルでしょ」とか、人によっていうことがバラバラだったりします。
今の時代、複合施設の建設もそれとわかるビル名も珍しくありませんが、当時、「企業のオフィス」と「劇場」という、目的も用途も意匠も大きく異なるものをくっつけるというのは、かなり斬新だったのではないか?とも思います。
それにしても、何でこんなことになっているのかというと、歴史は明治時代に遡ります。
1911(明治44)年、三菱地所の所有地に、東宝が建物を所有する帝国劇場が竣工したことがはじまり。劇場として使用されていましたが、1955(昭和30)年、映画最盛期になると映画館に転用されました。
帝劇と同じ区画には、日本倶楽部と三菱地所所有の三菱仲3号館がありました。仲3号館建替えの際に、帝劇を含めた共同ビルの建設の構想が具体化し、3年の年月をかけて帝劇別館のテナントの移転交渉を行ったそうです。
1963(昭和38)年、東宝から三菱地所に貸地を返還したのち、その区画の2分の1の敷地を東宝に譲渡。区画前面に共同でビルを建設し、建物のうち各所有地上の部分はそれぞれの所有とすることで合意。日本倶楽部は、新ビルにフロアを所有することを条件に、1964(昭和39)年に敷地の返還に応じました。
そんな経緯があり、国際ビルは三菱地所が保有、帝劇ビルは東宝と出光美術館が保有ということになっています。
立ち退き交渉だけでも大変だけれど、さまざまな権利関係が絡むと建て替えは難しくなりますよね。当時は、法人同士で交渉で何とかなって現在に至るわけですが、令和の時代の建て替えは、さらに権利関係が複雑化していて、いろんなドラマがありそうです。それで閉鎖・解体の予定がずれているビルもあるようです。どことは言わないけど(笑)。
このあたり、高層ビル群みたいな華やかさはないけど、昭和らしい重厚感と温か味のあるデザイン、手の込んだ作りにホッとします。昭和生まれだから(笑)。
この時代は、建物も、高さはそれほどなく横に長い感じです。正方形だったり、三角の部分を取り入れた複雑な形になっていたりもします。ビルを設計した頃、関東大震災を経験した世代の人たちが現役だったこともあって、高さを競うより、いかに倒壊しにくいものを造るか、苦心されたそうです。
新橋の駅前ビルも面白い形をしているけれど、理由は同じだそう。
外から見える色ガラスのブロックも素敵ですが、国際ビルヂングの中はこんな感じ。オシャレで遊び心がいっぱい。センスが違います!
この頃って、角の面取りをした「R(アール)」を付けたデザインが流行っていたんですね。普段、何気なく視覚に入るものって大事だから、あんまり尖っているよりもこういう方が世の中も優しくなりそうな気がします。
色ガラスやタイル張りひとつとっても、職人さんの手仕事です。文化財として認めて欲しいくらいですよね。
戦前に建てられた近代建築は、保存、一部保存などの動きがあるのに、この時代のものはどんどん壊されていくようです。せめて内装に使った部材とか再利用できないのかなあ。
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【追記:2022年9月】
やはりというべきか、9月27日に、国際ビルと帝劇ビルを一体的に建替えることが発表されました。2025年閉館予定だそうです。あと10年もしないうち、2030年ごろには東京ってどんな街になってるんでしょうねぇ。
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