映画|伝説の学生運動「きみが死んだあとで」

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これも大事な昭和史。「10・8羽田(じゅっぱちはねだ)」という言葉をご存じでしょうか。「ベトナム戦争反対」を掲げていた学生たちが、1967(昭和42)年10月8日、佐藤栄作首相の南ベトナムを含む東南アジア各国訪問を阻止しようと羽田空港周辺に集結、橋の上で機動隊と激しく衝突した事件。「たとえ1人でも羽田空港のなかに入れば飛行機は飛び立てない。佐藤首相のベトナム訪問を何が何でも阻止したい」と。

このとき、京大生の山崎博昭さん(当時18歳)が命を落とし、彼の死は特に同世代の若者達に大きな衝撃を与えました。この映画のタイトルの「きみ」とは、山崎博昭さんのこと。共に活動・支援していた人達の記憶、思い、その後の人生が語られます。何より滲み出るような心の痛みが聞いていてつらい。

 

高度経済成長期は、平和と繁栄と未来への希望に満ちていた時代と言われます。
世界に類を見ないような「焼け野原からの急激な復興と成長」は、さまざまな矛盾や軋轢、歪みも生み出していました。
公害や開発などの問題も大きかったけれど、1970(昭和45)年に控えていた日米安保条約の改定、沖縄問題、世界的にはベトナム反戦運動などもあり、当時の学生は政治問題に関心をもたざるを得ませんでした。学生たちが置かれた環境も厳しく、大学の質が低下しているのに授業料がどんどん上がるなど、非常に大変だったにも関わらず、です。

 

山崎さんの写真を見ると、落ち着いた風貌でもまだ18歳。友人たちと、赤塚不二夫の漫画に出てくるイヤミの「シェー」のポーズで撮った写真の笑顔はまだまだ幼さが残っています。
彼は生前、「侵略戦争の銃は持たない。反戦の闘いには命をかける」との言葉を残していることなどからも、非常に意志の強い人だったのだろうと思います。死因は、機動隊に頭を乱打されたか、装甲車に轢かれたか、いろいろ言われていますが、どうして18歳の学生がそんな風に命を落とさなければならなかったのか。

 



今、この時代の写真を見ると「格闘・闘争」というより「戦争」みたい、内戦状態というか。あのとき、死ぬかもしれないって覚悟をしていた人も結構居たんじゃないでしょうか。

当時学生運動に参加された人に「角材を持って暴れている人達がいる中に、自分も後から入って行くって怖くありませんでしたか?」と聞いてみたことがあるのですが、もう怖いというのはないというか、もう考えてなかったといいます。
「石は飛んでくるし、みんなが角材振り回しているし、機動隊がどどーッと押し寄せてくるという状況だから何かしないといけない。とりあえずこいつを運ぼうって怪我人を運び出したりしていた」そうですが、聞けば聞くほど、それって内戦状態では?

その状況の中に飛び込めたのは、連帯感からなのか、一種の高揚なのか、そういう時代に学生として生きている使命感なのか、そして多かれ少なかれ自然に心構えができてしまうものなのか。 (それにしてもこの世代の人たちはすごく本も読んでいて、考えて、仲間と語り合ってきたんだなあと思います。ネットもあるのに私達の方が何もしらない)。

 

でも、闘ったのは「国」と「学生」ですよ?
しかも自分の国。

 

学生運動は、その後に起こったさまざまな事件もあり縮小していき、その事件の大きさからも負のイメージが付くようになってしまいました。資料で「いつ頃、こういうことがありました」と大局を知ることは出来ても、個人個人の体験や思いまで知ることは、相手が話してくれない限りできません。でも、そこに真実があって、彼、彼女たちの記憶こそ後世に継承(というよりも”相続”)されるべきではないでしょうか。

 

そして、あれから50年が経った2017年8月20日から11月15日まで、ベトナム・ホーチミンにある戦争証跡博物館で「日本のベトナム反戦闘争とその時代展」が開催されました。
山﨑博昭さんのお名前はベトナムの歴史に刻まれました。

 

映画「きみが死んだあとで」公式ページ
http://kimiga-sinda-atode.com/ 

10・8 山﨑博昭プロジェクト


きみが死んだあとで


かつて10・8羽田闘争があった: 山?博昭追悼50周年記念〔記録資料篇〕


 

【追記:2023年6月】
この映画「きみが死んだあとで」は、現在、Amazonプライムビデオで、映画を視聴することができます。長いドキュメンタリーですが、学生運動を知らない世代にも観ていただきたい映画のひとつです。

 

*  *  *  *  *  *

<編集後記>
1960年代後半に起こった、ベトナム反戦運動、三里塚闘争、水俣病闘争などの市民運動、住民運動、全国規模の大学闘争などの多様な社会運動は、戦後の平和と民主主義、政治、経済をはじめ、あらゆる分野の枠組みやそのやり方を厳しく問うもので、今振り返っても、この時代は「戦後の日本を形作る重要な時期だった」と言えるような気がします。
けれど、この時代に噴出した多くの「問い」には、半世紀経ったいまでも答えが出ておらず、問題はさらに複雑になっているような気がします。
もし、彼らや多くの住民たちが命がけで問題を提起し行動をしなかったら、戦後から70年以上経った今の日本がどんな国になっていたのかと、ちょっと恐ろしい気もしています(これからだって恐ろしいですけどね)。
知らず知らずのうちに植え付けられた「学生運動の負のイメージ」はいったん脇に置いて、実際にその時代を生きて、次々と噴出したあらゆる「問い」に対して真向から向き合った人達の声を聞いて欲しいなと思います。
学生時代に社会問題なんてろくに考えもしなかった(チャラい)世代の私達には、「あの当時の学生は」なんて、とても言えないですよ。


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