鉄道と駅舎|湘南電車型の駅売店/バーコードがない時代のKIOSKの思い出

JR藤沢駅ホームにあるKIOSK(正確には「New Days」)、国鉄80系電車の形です。駅売店は1932(昭和7)年、上野駅と東京駅構内に「鉄道弘済会売店」を10店舗開いたことが始まり。最近、駅売店の多くはコンビニに置き換わり、KIOSK自体も少なくなりました。



ところで、KIOSKの読み方は、「キヨスク」か「キオスク」か。スペルではキオスクですが、「キオスク」と呼ぶのはJR東日本エリアだけとか。


KIOSKの歴史
鉄道の仕事は今よりも危険が多かったにも関わらず、保障も十分ではなかったため、障害を負ったり、残された遺族はすぐに生活に困窮することになってしまったそうです。
旧国鉄時代、鉄道殉職職員の遺族や、身体に障害を負ってしまった鉄道職員の救済・援護を目的として設立された「鉄道弘済会」は、主として鉄道殉職者の妻に働き口を確保するため、こうした店舗を作ったそうです。

※昔はそういう形で働き口を確保するシステムがあったのですよね。通学時間に交差点で小学生の登下校を見守る「緑のおばさん(学童擁護員)」も、1959(昭和34)年、戦後復興期に寡婦の雇用対策として東京都で始まったものでした。

1973(昭和48)年8月、「鉄道弘済会売店」からのイメージチェンジを図るため「KIOSK(キヨスク)」に名前が変わりました。トルコ語の「köşk(キョシュク:あずまや)」に由来する英語「KIOSK」を、「清く」「気安く」の意味からキヨスクと読むようにしたとか。
国鉄の分割民営化に合わせてキヨスクも分割されたのですが、JR東日本エリアは、東日本キヨスクからJR東日本リテールネットに社名変更する際に、民営化前とはロゴマークと読み方を「キオスク」にしたのだそうです。

 




KIOSK~バーコードがない時代のこと
駅の売店というと、女性店員さんが商品の合計金額とお釣りを瞬時に暗算、間違いなく手渡しをしてくれるという早わざを思い出す方もおられるのではないかと思います。

バーコードもない時代、店員さんたちは、商品の値段をすべて覚えていて、瞬速で暗算してお釣りを渡すというスゴ技を持っていました。


たとえば、お客さんAが複数の商品を選んだ瞬間に金額を伝えて、そのAさんがお財布からお金を出している間に、別のお客さんBが選んだものを見ながら金額を伝え、Aさんのお金を受け取ったと思ったらすぐにお釣りを渡す。
その手作業をしている間に、お客さんCの、〇〇ないの?という質問に答える。また別のお客Dさんが選んだものを見て暗算しながら、Cさんの質問に答え、その直後にDさんに金額を伝え、Bさんがお金を出したらまた瞬間にお釣りを間違いなく渡す・・という感じで、電車の発着前後のわずかな時間で、全てさばいています。

それでいて、みなさん愛想もいいんですよ。朝から元気!
私もよく利用させて頂いてましたが、間違いは一度もない!聞いたこともない!買った後に「ありがとうございました」の代わりに、朝は「行ってらっしゃい!」って言ってくれたり。駅員さんも親切なのですが、大人の女性が常駐しているというだけで、特に学生時代は安心感がありました。

振返ると、結構、思い出がありますね~。
窓や扉もない売店だったなので、夏は暑く、冬は寒かったと思うんですよね。納品や検品、陳列も、小銭の多い売上管理も、全部こなして、今でいうシフト制で。大変だったんじゃないかなあ。

あるのが当たり前に思っていた売店の歴史と、私的な思い出でした。


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