久しぶりの逗子海岸。お天気がよく引き潮の時間帯だったせいか、遠浅の海岸の向こうに富士山がよく見えました。しかも、桜貝も拾えました!(桜貝については別記事にて)
晴れていると夕日もきれい。気づいたら、海岸にいる人が増えていました(笑)。
逗子海岸の歴史
もともと漁師の拠点地だったのが、1889(明治22)年に横須賀線逗子駅が開業されると、新宿海岸周辺に別荘が建ち始めました。それが今の「湘南逗子」の始まりといえるかもしれません(1892~1893年)。
國民新聞に掲載された徳冨蘆花のベストセラー小説「不如帰」の舞台にもなり、大正時代には既に「逗子海水浴場」として知られていたといいます。それから100余年たった現代の逗子海岸は、他の海岸同様、海洋ゴミや海岸侵食などさまざまな問題を抱えています。
富士山と江ノ島が一望。寒い時期の方がよく見えます。 |
海岸侵食
日本国内の海岸浸食は50年前には既に始まっていて、現在では年間160ha、今のままでは30年後には4,800ha(三宅島くらいの大きさ)の海岸がなくなると言われています。
たとえば、千葉県の九十九里浜と神奈川県の湘南。
千葉県によれば、九十九里浜では2015年までの54年間に、海岸線が最大で90メートル後退したそうです。
湘南では、1960年代には既に問題視され始めており、鎌倉も国道沿いにあったはずの砂浜は、これが砂浜と言えるのか?というほど狭くなり、潮が満ちてきたら危険を感じるくらいになってしまいました。
また、二宮町あたりでは国道の下がえぐられていき、そのうち134号線が決壊するのでは?という不安の声も上がっていると聞いたこともあります。
実は逗子海岸にもそういう危険性があるそうです。
明治時代から100年以上続いた逗子の海水浴場は、1998(平成10)年~2009(平成21)年頃の約10年間で、砂浜が15mも後退し、満潮時は小さな波でも海の家の直前まで来てしまう状態だったそうです。
砂を入れるなどの対策をしているものの、解決したわけではありません。
その砂は一体どこから持ってきているのか?
結局、どこか山とか島とか、別の海岸が削られていて、それはひとつの「ビジネス」として様々な問題があると言われています。
※「砂ビジネス」で検索すると色々出てくると思う・・。
砂浜後退の原因を特定することは難しいと思いますが、温暖化、土留めの海藻の減少、開発による潮流の変化、風浪、台風の激化など、様々なことが複雑に絡んでいるのだろうと思います。
普段意識しない「砂浜」の役割
海洋ゴミの問題は気づきやすいですが、砂浜の問題に気づくことは、そう多くはありません。砂浜の役割は、消波、構造物の根固め、動植物の生息、水質浄化、娯楽や学習の場などさまざまですが、「砂浜=海岸防護施設」でもあります。
個人レベルでは直接できることがなく、何とも歯痒いのですが、過去にNPO団体が署名を集めて国土交通省に提出したこともあるそうなので、協力できることは何かあるのではないかと思っています。
逗子海水浴場
https://zushi-beach.jp/
Shonan Beach FM:LOVE THE BEACH
https://www.beachfm.co.jp/blog/24202/
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<編集後記>
大正時代、浜に面して建てられていた別荘や洋館は1923(大正12)年の関東大震災とその津波で壊滅したそうです。当時、開発した別荘地や観光地は、人が普段そこで生活しているわけじゃないから、何かあっても死傷者はあまり出ません。地元の人は住まないところだけどね・・・と言いながら、区画分けして売られたところでもあるわけですよね。
湘南はかつてほとんど砂地だったし、ワイキキは湿地だったし。いろんなビジネスとか利益とか、絡んでいるよなあ。
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