JR東海道線「大磯」駅です。東京から1時間くらいでこの長閑な景色。1887(明治20)年に 国鉄の旧・横浜~国府津駅開通と同時に開業、駅舎は関東大震災で倒壊したたものの、1924(大正14)年に再建されたそうです。
このオレンジ色の三角屋根は鉄道ファンやレトロ建築ファンにも人気なのだとか。だいたい、瓦自体が少なくなってますよね。
今でも、再開発の手が伸びることなく、風景もさほど変わらず、都内への通勤圏内なのに駅に広告看板を出していないのも特徴です。
大磯は、明治中期から昭和初期にかけて、大磯も要人の避暑・避寒地として邸宅や別荘が多く建てられたました。政界の(あるいは湘南の)奥座敷と言われ、伊藤博文、吉田茂、山縣有朋、西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光、岩崎弥之助、安田善次郎といった政財界要人の別荘があったとか。旧吉田茂邸、旧島崎藤村邸は観光スポットになっています。
そういう場所だからか、景観を大事にしてるとのこと。
看板がないとこんなにすっきりして気持ちが落ち着くのかっていうのと、看板がないと時代感覚がわからないというのと、どっちがいいやら(笑)。
ちょっと、途中下車の旅!
駅前にある木々に覆われた小山に、かつて三菱財閥の創始者・岩崎彌太郎の別荘がありました。第二次世界大戦後の財閥解体に伴って財産税として国に物納されてしまいますが、それを孫娘・澤田美喜さんが募金を集めて400万円で買い戻し、孤児院「エリザベス・サンダースホーム」を創設しました。
エリザベス・サンダースホーム
https://www.elizabeth-sh.jp/memorialmuseum/index.html#
財閥のご令嬢であり外交官の妻でもあった彼女は、ホーム建設のために洋服、毛皮、宝石、絵画、銀食器など、高価な持ち物を売り払って資金を調達したと言われています。このホームは、戦後日本占領のためにやってきた連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果で生まれたものの、両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たちのための施設でした。
当時、外国人の顔をした子どもたちは、孤児への偏見、風俗女性への排斥感情、人種差別、敵国への憎悪感などから、疎まれ、さげすまれていました。GHQも日本政府も積極的な救済策を取ろうとしていなかったのです。
また、彼女の献身的な活動を支えたもののひとつにキリスト教がありました。長崎以外でキリシタン関連の資料がまとまってみられる貴重な場所でもあります。エリザベス・サンダース・ホームについては、またいつか別ブログにて記事にしたいと思います。
三菱グループ:三菱人物伝「澤田美喜」
https://www.mitsubishi.com/ja/profile/history/series/people/15/
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