茅ヶ崎市にある「恵比寿湯」さんに行ってきました(駅からは遠い)。幼いころのうっすらした記憶に”銭湯”があり、当時は銭湯のことを「お風呂屋さん」、家のお風呂を「内風呂」と言っていたような。
ここはお世話になった銭湯ではないけど、高い天井、木の棚、竹の籠、湿気、よく響く音や声、おかまドライヤー、扇風機、いちご牛乳・・・など、懐かしいものばかり。
もちろん、この煙突のある風景も。
銭湯自体が減っているけど、こうした瓦屋根の古い建築はもっと希少です。
当時、私がまだ幼かったから、母が自分の分と子供達の分のタオルや着替えを袋に詰めて、幼い私達の手を引いて。夏だったらまだ明るいような時間帯に銭湯に行っていたみたい。
多分、子供連れだと周囲に迷惑がかからないからまだ混んでないうちに・・というのと、戻って夕飯を作らなきゃいけないし、子供を早く寝かしたのかも(笑)。父が帰ってきたら晩御飯を食べて、その後、父はひとりで銭湯に行く・・。
昭和40年代後半くらいまでは、だいたいそんな感じじゃなかったかなと思います。
昭和に建てられた銭湯は、大工さんに加えて宮大工さんも参加して造っていたところが多いそうです。いろいろな専門の職人さんの手仕事の集積です。
浴場にはお決まりのペンキ絵。
銭湯は、地域の交流の場でもありました。
小さな子供連れのお母さんが、自分の体や髪を洗っているときは、その場に居合わせたご婦人たちが、子供の面倒を見てくれたとか。覚えていませんが、私も随分お世話になっていたようです。
今の公衆浴場では、まだおむつの取れない子は連れて来られないけれど、当時はそもそも家にお風呂がなかったりするので、赤ちゃん連れの場合は、”たらい”を出してくれたとか。
それにしても、銭湯のお湯は熱い、これがいいんだけど、熱い・・・。不思議なことに、湯冷めはしにくい気がします。番台に座っていたご婦人と世間話しながら、汗が引くのを待ちました。
お風呂屋さんをやっていたご主人のもとに、川崎から嫁いで来られたんだそうです。それからずっとこの仕事と家庭を両立し、お子さんも育て上げ、ご主人も見送ったそう。よく働いてこられたんですね。でも、本当にお元気で年齢を聞いて驚いたけれど、さっさと番台によじ登る身軽さにさらに驚きました。
男女平等なんて掛け声ばかりの時代だったのに。昭和の女はたくましい!
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【追記:2021年2月】
銭湯は解体され、新しい建物(賃貸マンション)が建っているそうです。すごく残念ですが、こればかりは仕方ない。もう二度と見ることはできないし、復元もできません。撮影しておいてよかったと思いますが、何より、せめてもう一度行きたかったです。「いつかまた来られるだろう」と思っていると、機会を失いますね。
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