五反田駅から徒歩3~4分の目黒川沿い、オフィスが立ち並ぶ一角に唯一残る旅館「海喜館(うみきかん)」。
戦前の五反田は花街として賑わっていました。空襲、戦後復興のドタバタ、高度経済成長期やバブル経済など、大きく時代が移り変わっても、周囲の風景がどんどん変わっても、ずっとここに建っています。
まずは、五反田の歴史について。
江戸時代、目黒川の谷周辺の水田が「一区画5反(1反=約300坪)」だったことから「五反田」と呼ばれるようになった低地の集落。1911(明治44)年、他より少々遅れて山手線の駅が開業、大正時代になると日本で最初のワクチン開発をした星製薬所が大規模な工場を構えたことから発展していきました。
農業や工場労働者の町が、いつから花街になったのか。1921(大正10)年に麻布から四軒の芸者屋が移ってきたことが始まりと言われています。
工場も増え、金融機関も進出すれば、融資も増え、接待も増え・・・と、お金が回り出します。また、鉱泉が発見されたり、関東大震災で壊滅的な被害を受けた人々が五反田に流れ込んだりと、様々なことが重なり、急激に発展していきました。
最盛期、芸者さんは200名以上。新橋や神楽坂みたいな華やかさには欠けても、東京郊外の花街の中では、かなり賑わった場所だそうです。
海喜館の開業時期はわかりませんが、おそらくこんな時代。旅館としてかなり繁盛していたようです。
五反田は、1925(大正14)年に三業地の指定を受けて以来、繁栄してきたものの、空襲に遭ったり、戦後の売春防止法の制定によって待合制度は廃止、待合における売春の取り締まりが日々強化されていき、花街としては衰退していきます。
1950年代になると、再び店舗や旅館が増え、商業地として賑わいを取り戻します。
海喜館も、しばらく順調だったようですが、ビジネスホテルが増えるなど時代や町の変化に伴い、徐々に経営が苦しくなっていったとか。
口コミで聞いた出張者やレトロ建築ファンには人気でしたが、2015年に閉館(ちなみに、1泊6300円くらいで、朝食もおいしかったそうです。)
いつまでもあるとは思ってるわけじゃないけど、そのうち行けるだろう、まだ大丈夫だろうと思ってしまう私達。思っている間に建物は老朽化し、あるとき閉店や解体のニュースを聞いて、行っておけばとかったと後悔する。またそんな思いをしてしまいました。
海喜館については、こうした時代を経て奇跡的に残っていることよりも、ある「事件」が注目されてしまいます。個人的には関係がないし、内容が内容なのであまり書きたくないのですが、やはり海喜館のことを書くときは避けられないから、一応少しだけ書いておきます。
2017年6月、「地面師(他人の土地を持ち主になりすまし、勝手に売却する人)」のグループが海喜館の所有者を装い、積水ハウスから約55億円を騙し取るという事件が起きました。
工務部の人たちが測量のために現地入りしたとき、警察や弁護士さんに作業を止められて詐欺が発覚して、大騒ぎになりました。本当にひどい話ですが、何とも大胆です。
高層ビルやタワー・マンションブーム、2020年の東京五輪に向けた再開発など、色んなところで大きなお金やたくさんの人が動いていた時期です。スピードも求められていただろうし、他社との競争も激しかったことだろうと思います(五反田駅からこんなに近いところで600坪ですから・・・)。
ただ、組織の判断とか体質はどうだったのか、本当に避けられなかったのか?という声もあり、後々、いろいろな話が出てくるのかなあと思います。きれいなビルやマンションが建ち、町が新しくきれいになっていくその裏で、私達が想像する以上に、こうした事件はたくさん起きているのかもしれませんね。
私も勤め人なので、もし自分の勤務先で起きたことだったら??と想像してしまいます。社員の皆様がどんな状況に置かれ、どんな気持ちで日々の業務に当たってこられたのだろうと思うと、やっぱり胸が痛みます。
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【追記:2020年10月】
事件後は、旭化成不動産レジデンス(株)が正式に土地を取得、2020年6月に解体工事が終了し、更地になったそうです。とうとう解体されてしまったなあ、と寂しくなりました。地上30階建てのタワーマンションが建つそうです。
なお、事件については書籍にもなっています。読み物としてだけでなく、日本企業や社会が抱える問題のひとつとして、知っておいてもよかもしれません。
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