Thailand|国王の逝去からもうすぐ1年というとき

2016年10月13日、ラーマ9世が逝去しました。まだ喪が明けてないであろう2017年9月にタイに行く、一般の外国人観光客である私達は一体どうしたらよいものか?やっぱり考えずにはいられませんでした。

 

直後ではなく、もうすぐ1年が経つ頃ではあるとはいえ、一国の王が亡くなった喪失感は大きいのではないか?ラーマ9世は長く在位し、その功績と人徳からタイ国民にとっては精神的支柱と言われるほど、幅広い層から敬愛を集めた王様だったそう。ニュースでもタイ国民の悲しむ姿が繰り返し流されていたことを覚えています。

プラユット首相(当時)は、全てのタイ国民に対して30日間喪に服すこと(政府関係機関は1年間)、エンターテイメント系の娯楽はもちろん、デパートや飲食店などの商業施設でも音楽を控えるなど8つの禁止事項について正式に発表しました。ところが30日を過ぎても、街ではほとんどの人が黒い服を着たり、黒いリボンをつけたりする状況がしばらく続いていたそうです。
 

他の記事でも書いたけれど、タイ国民の悲しみの温度とは違うものの、やはり弔意は示したいところ。最初はみんな黒い服を着ていたとしても、徐々に日常に戻ってきたところであれば、外国人観光客の私達がそれほどこだわる必要があるのかどうか・・・ということで、鞄に小さな黒いリボンを付けておくくらいかな。いかにもって感じじゃなくて、アクセントにも見える程度に。
あとは王宮や王室御用達の場所に行くときは、服装に「黒」の割合を増やしたりとか。派手なアクセサリーなどは避けました。周囲の様子を見て変えられるように予備の黒い服やそれなりの明るい色の服は持っていきましたけどね。

喪が明け、日常に戻ったタイに来ることがあったら、そのときお洒落すればよいわけで(次回、いつタイに来るかは全く不明だけど)。

 

タイの習慣
タイでは毎日「朝8時」と「夕方6時」にテレビやラジオからタイ国歌が流れるのですが、国歌が終わるまで、歩く足を止め起立する決まりなのだそう。これはタイ王室とタイ国家への敬意を表すためで、外国人旅行者であっても同様に敬意を表すことになっています。特にこんな時期は、うっかりしないようにしたい。
 

↓↓ これがタイの国歌。一応、旅行前に聴いておいてよかったです。



ラーマ9世
こんな時期にタイに来たのもご縁だろうと思い、どんな方だったかについて書いておきたいと思います。(もし身近にタイの方や詳しいがいらっしゃれば直接聞いた方が確実です)。

タイは、国王を元首とする立憲君主国。
国王は、憲法によって「宗教の保護者」という立場であり、王室はタイ国内における仏教寺院の頂点とされています。そのため国民は、国王に対して深い尊敬の念を抱いており、王室を批判、中傷、侮辱すると刑法で定められた「不敬罪」に問われます。外国人も同様に罪に問われます。
 

ラーマ9世は、チャクリー王朝第9代のタイ王国の国王で、通称名は「プミポン・アドゥンヤデート国王」。 1927年に米国マサチューセッツ州で生まれ、スイスで育っています。兄王の突然の死により18歳の若さで即位し、88歳で亡くなるまでの70年間(戦後からずっと)、少しずつ国民の信頼を獲得しながら、国を導き、社会的経済的発展に大きく貢献しました。

第二次世界大戦が終わり、やっと平和になったように見えましたが、世界的には植民地の勢力が増していき、近隣の東南アジア諸国は混乱の時代に突入していきました。一方、タイ国内でも軍政と市民運動が活発で、不安定な状態が続いていました。
タイは立憲君主制をとってはいるものの、実質的には軍事政権の下に置かれた時期が長く、その状況は現在でも続いてるほど根深いものがあります。
ラーマ9世が在位した頃からしばらくの間は、王室への信頼や愛着も失墜していた状態でした。若くして即位した国王は国民からの信頼はなかなか得られませんでしたが、長い在時間をかけ、自らの言動や人間性によって、タイ国民や諸外国にも信頼される王になっていったといいます。また、非常に民主主義を重んじていたそうです。
※タイは、東南アジアで唯一植民地になっていない国です。


本当に多くのエピソードがあり、ちょっと紹介しきれないので一部のみご紹介します。

  1. 若いころから自分で車を運転し、国民がどんなことに困っているのかを自分の目で確かめるため、地方を回っていました。農民と同じ目線になるように座ったり、身体の調子が悪い老人を自分の車に乗せるなど、非常に気さくだったそうです。

  2. タイ国軍率いるスチンダー首相と民主化運動を指揮していたチャムロンが対決し、タイ政府の武力弾圧がありました(暗黒の5月事件)。双方のリーダーを玉座の前に正座させ、「そんなことでタイ国民のためになると思うか。双方ともいい加減にせよ」と一喝し、騒動を一夜にして鎮静させたそうです。

  3. 1970年代に起きた学生運動のよびかけのひとつに「贅沢品不買運動」があり、日本製品の不買運動が起こりました。学生たちの行き過ぎた主張に対しラーマ9世は、「デモ運動で使っているスピーカーは日本製だし、その警備にあたっているパトカーは日本車だよ」と言い、学生の矛盾を問いただし不買運動をあっさり鎮静させました。

  4. タイでは野良犬問題が非常に深刻である一方、資産家たちは海外から血統書付きの犬を買い付けていました。「海外から高い犬を連れてこなくても、国内にこんなに可愛い犬がいる」といい、施設からもらってきた犬を大変可愛がり、激務の合間を縫って「奇跡の名犬物語」を執筆。のちに映画され、 売り上げは王室が後援する野良犬の保護団体「フアヒン・ドッグ・シェルター財団」に寄附されているそうです。

  5. このほかにも仏教の教えを元に、貧困地帯へ自ら足を運び、どうしたら人々が自立し、よりよい生活ができるのかを考え、私財を投入し支援の幅を広げていきました。現在、そのプロジェクトは3000にも及ぶそうです。

 

政治的なことだけでなく、経済でも大変なことがありましたよね。
1997年のアジア通貨危機。タイの通貨(バーツ)の暴落を引き金に起こった経済危機は、アジア諸国に連鎖的に波及しました。
タイの人たちって穏やかだし、今の経済発展の様子はものすごいけれど、かなり大変な時代を経てきています。胆力がありますよね。それも「きっと国王が何かしてくれる」という信頼と期待が国民の支えになっていたのだろうと思います。


ちなみに日本の皇室とも深い交流があるそうです。
また、非常に申し訳ない気持ちなのですが、日本でタイ米が廃棄されていることを知って怒る国民に「許しましょう」と諭したというエピソードもあるそうです。もう、何といっていいかわからない。


 

国民に慕われていたため、もともとあちこちにラーマ9世の写真は飾られていたそうなのですが、逝去してから1年近く経っても国王の死を悼んでいる様子が伺えました。かといって 足を止めて合掌する人もいないし、タイではどうするのかわからなかったので、写真の前で立ち止まり、心の中で合掌するのみでした。


心より、ご冥福をお祈りいたします。


*  *  *  *  *  *
<編集後記>
国歌を流している間、起立をする・・・って、日本で「そうしましょう」なんて話が出たら大騒ぎになること必至。そういう意味では、新鮮な経験でした。
一方で、こんな風に敬意を表す習慣のある国に来て、戸惑いを感じたのも事実です。日本人だって自国に対しての敬意はみんなあるんだろうけど、表し方って言われてもよくわからないですよね。なので、たとえとしていいのかわかりませんが、私は祖父は二人とも写真でしか知らないので、祖父っていうのはどういう存在でどういう感じなのか、わからない。知ってる子は知ってるんだけど、私はわからないなあっていう、それと似た「頭の中が一瞬白くなる感じ」がありました。
日本が嫌いなわけでもないし、かといって愛国心というのとも違うし、ややこしくなるし。自分の国を大事に思う気持ちはあっても、終戦以降は非常にデリケートな問題で、いまだに触れてはいけないような、ヒリヒリとしたものがあります。
こういうのって、いつなくなるんだろうな。



 

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