Thailand|泰緬鉄道の旅(2):クウェー川鉄橋/継承の難しさ

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これが映画「戦場に架ける橋」のモデルになったというクウェー川鉄橋(別の橋という説もあるけど)。旧日本軍の名称では「メクロン河永久橋」。もともと川の名前はメークロン川だったけれど、映画の影響で「クウェー川」に改名されたのだとか。



滅多に列車が通らないので、みんな線路の上を歩いていますが、歩きにくいため転落事故もあるそう。サンダルやスマホを落とす人もいるとか。

黄金の仏像が多いタイで観音像とは珍しい・・と思っていたら、2010年頃に宗教団体によって建てられたものだそう。地元住民や環境団体が、歴史的景観を壊すとして反対運動を起こし「景観論争」になっているそうです。





泰緬鉄道の歴史について
日本とビルマ(現ミャンマー)とは敵対関係にありました。ミッドウェー海戦以来、劣勢になった旧日本軍は海上輸送の危険を避け、陸上輸送路を確保する必要に迫られました。そこで、タイとミャンマー間を陸路で繋ぎ、前線へ物資を輸送するために造られたのが泰麺鉄道。全長はおよそ400km。 たとえば、東京からJR東海道本線で行くと名古屋まで360kmくらい。ただ、この鉄道建設は、非常に困難なものとなりました。



20世紀初頭の英領ビルマ時代にイギリスが鉄道建設を検討した結果、建設を断念した過去があったそうです。旧日本軍の間でも、当初は5年はかかるだろうといわれていましたが、1942年6月にビルマ側・タイ側両方から工事を開始しました。

硬い岩盤、崖や泥のような川、ジャングル、5カ月も続く長い雨季、などの厳しい環境下での重労働や長時間労働となりました。
資機材の不足と突貫工事、マラリアやコレラなどの病気、怪我、事故、食糧不足からくる栄養失調、薬も物資もない中での看護、劣悪な住環境(タコ部屋)、食糧調達、衛生状態の悪さ、心理的負担、虐待、空爆、遺体の埋葬、など、挙げたらキリがないほど悪条件ばかり。それでも1943年10月、わずか1年ちょっと期間で全通させたそうです。

300人を動員しても1日10メートルしか進まない程の難工事のとなった場所もあったといいます。日本人だけでなく、動員された連合国軍の捕虜やアジア人労働者ら10万人以上の死者が出たともいわれています。当時、タイは日本と協力関係にあったが、多くのタイ人も犠牲になっています。



完成後は、インパール作戦(1944年3月開始:インド国民軍と日本軍協同)において、重要な役割を担いました。雨季の土砂崩れや脱線事故、連合軍の空爆などによる橋梁の破壊等により復旧を繰り返しながらも、鉄道輸送が完全に止まることはなかったそうです。ただその分、犠牲も大きく「枕木一本、死者一人」と言われることにつながりました。

終戦後、連合軍によって部分的にレールを撤去され、ミャンマー側の全線とタイ側の国境から3分の2にあたる区間が廃止され、タイ側の一部はダムに沈んでいるそうです。現在は一部区間(カンチャナブリ駅~ナムトック駅)が、タイ国有鉄道・南本線(通称:ナムトック線)として運行を続けています。

英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」、どちらかとうと「Death Rail Way(死の鉄道)」として知られています。観光客も多いけれど、連合軍の捕虜の子孫にあたる方々が今も慰霊や歴史継承のためにに訪れている、そんな場所です。




継承の難しさ
戦火が拡大していく中、陸路での前線への物資調達のため、鉄道建設には迅速さを要求されていました。戦争の過酷さや犠牲というのはこういうところにもあるのかと、猛暑の中で多くの人が感じていたと思います。うつむきながら歩いている70代くらいの白人の方を見たとき、目にいっぱいの涙、手は震えていました。

「真の歴史を知ることは大事」なのは承知しつつ、観光客が増えるほど、旧日本軍の残虐行為が強調されてしまう可能性もある、『死の鉄道』という表現も使い方によっては、現在のタイと日本の有効な外交関係、経済、人的交流に摩擦を引き起こすかもしれないという懸念があるといわれています。
一方で、「歴史は正しくと伝える必要がある」、「今の日本や日本人を責めるつもりはないが、事実は事実」という意見もあります。
ただ、よくも悪くも、全てが明らかになったわけではないことと、イメージとは異なるエピソードもたくさんあること、受け入れがたい意見はこの先も出てくると思います。

本当に戦争が終わったと言えるのは、いつのことなのだろう。



映画「THE BRIDGE ON THE RIVER KWAI(戦場にかける橋)」
(1957年:英米合作)


古い映画で、早川雪舟さんが出演しています。
米国を中心に活躍した日本人の国際的な俳優。アメリカとヨーロッパで主演男優としてスターダムにのし上がった最初のアジア系俳優。


 


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泰緬鉄道―機密文書が明かすアジア太平洋戦争―

泰緬鉄道からの生還



 

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<編集後記>
タイ人のガイドさんが「あの橋は戦時中に爆破されたことがある。一瞬で壊れた、すごい衝撃だったそう」と、ここまではよかった。「日本人もわかるでしょ、ヒロシマと同じ。」と言ったのには、ずっこけそうになりました。
「橋の爆破は大変なことではあるが、広島に落とされた原爆とこの橋の爆破とでは、全く違う。比較にならない。ちゃんと調べて欲しい。」と伝えたけど、わかってくれたかどうか。
知らないものは仕方ないけど、それでもやっぱり日本人として違うものは違うと言わないと。そして、自戒を込めて言えば、違うことは違うと言えるように、ちゃんと勉強しないと。


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