アユタヤ遺跡群は遠目で見ている分にはいいけど、近くで見ると、とても痛々しいです。建物だけでなく仏像も崩壊したままのお姿で鎮座しています。つらくなりそうな方は、ここでページを閉じるか、移動されることをお薦めします。
次に訪れたのは「ワット・プラシーサンペット(Wat Pra Srisanpet)」。ボロムトライロッカナート王時代の1491年に建立され、以降はここで宮中儀式が執り行われいたそうです。
東西に並ぶ3基の仏塔には、ボロムトライロッカナート王(1448~1488年)と、その王子らの遺骨が納められていたと言われています。かつては高さ16mにも及ぶ黄金仏があり、この仏像名が寺院名「ワット・プラシーサンペット」にもなったそうです。
アユタヤ王朝が栄えた14~18世紀は、様々な建築様式を取り入れた建築物が建てられた時代だそうで、この釣鐘型のチェディ(仏塔)はスリランカ様式。特に3基の仏塔が横並びになっているものは、タイでもとても珍しいそうです。
頭部や腕がない仏像がたくさんあって、どこも損傷がない仏像は、復元・修復されたものであるものが多いとか。ビルマとタイもどちらも仏教国、この2つの国の間にはどんなことがあったのでしょうか。
ガイドさんは、
ビルマも同じ仏教国。
仏像に対してこんなひどいことはとてもできないと思う。
ビルマがやったと言われているけれど、実際には建物が焼けて崩れるときに、
仏像も巻き添えになって崩れたのではないか。
と補足説明をされていました。
この説明についてどう思うかはそれぞれですが、ガイドさんが考える通りであって欲しい。けれど、ビルマに限ったことではなく、戦争が人を変えてしまうことはいつの時代もあり得るので、やっぱり・・・もしかしたら・・等々、思わなくもありません。
この3基の仏塔のうち、中央の仏塔は内部の見学できるようですが、階段の蹴上げは高く、幅は狭く、勾配もきつい・・・観光客の往来があるため、途中で断念してしまいました。
でも、みんなすぐ戻ってきてしまうので、特別に何かあるわけでもなさそうです。
模型がありましたが、かつてはこんな感じだったんですね。
1767年のビルマ侵攻の際に破壊されてしまい、今ではアユタヤ朝中期に建てられたこの3基の仏塔しか残っていません。経年劣化や崩落もあったでしょうが、本当に過酷な戦いだったのですね。
ただ、想定でも「どのくらいの犠牲者がど出てしまったのか」という話は出てこないし、「犠牲者を慰霊する仏像や石碑等がない」ことが気になっています。
このあたりに宿を取れるなら、夜に来てもいいのかもしれません。ライトアップしてきれいみたいですよ。
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