ドイツ人作家ハンス・ファラダがゲシュタポの文書記録をもとに執筆した小説「ベルリンに 一人死す(Alone in Berlin)」を映画化。
ドイツの一般市民もナチスに苦しめられていたと思うけれど、この作品では彼らが主人公となっています(以下、ネタバレがあります)。
ドイツ人がみんなユダヤ人やロマを嫌ったり迫害していたわけではなく、ユダヤ人をかくまった人達もいるし、白バラ抵抗運動みたいなのもありました。他国でも同様で、ナチスに協力的な人もいたけど、表向きはともかく協力的ではない人達もいました。チャップリンは映画「独裁者」を制作してヒトラーを強く批判、オスカー・シンドラーは自分の工場でユダヤ人を働かせることで彼らを守った。杉原千畝は外務省の命令に背いてユダヤ人達の日本通過ビザを発給し続けた・・・。
他にも有名無名を問わず多くの人達が、人道的な行動を取ったり、ナチス批判をしたのだけれど、当時のことを知れば知るほど、誰もが本当に命がけだったことが伺えます。
この映画の主人公たちは、イデオロギーにも大金にも権力にも関係ない、ごく普通の労働者階級の夫婦、つまり「ヒーロー」に仕立てにくい人々。ユダヤ人を助けようと奮い立ったわけでもなく、ただ最愛の一人息子を戦争で亡くした悲しみと怒りが抵抗の原動力となっています。一般人である私達に色んなことが近い感じがするだけに、すごくいたたまれない。これが実話だと思うとなおさら。
彼らがしたことは、匿名でナチス批判の葉書を書き続け、町のいたるところにこっそりと置くこと。その数285枚。何だか地味で、そんなことして何になるのかと思われるようなことだけど、ゲシュタポはすっかり振り回されることに。
平和であっても国家権力や軍に抵抗するのは並大抵のことではないはず。この時代に生きた彼らにとっては、命に係わる危険な行為。
戦時中は日本でも、そうしたビラを見つけたとしても、読んではいけない、届けなくてはいけないとか色々決まりがあったようですが、ドイツもそれは同じ。文字にせよ絵にせよ、ナチス批判なんて決してあってはならないものでした。
葉書が見つかるたびに、ゲシュタポたちは焦り、苛立っていく。
映画を観ていて思ったのは、軍靴の音が高まり、だんだん物も自由もなくなっていくプロセスがひどく恐ろしいということ。自由のないつらさは本当に凄まじく、戦争の怖さは爆撃だけではないことがよくわかります。
誰の言葉だったか失念してしまったけれど
自由の獲得は、劇的な政治変化を伴うのに対し、
自由の喪失は、音もなく徐々に、
殆どの人の気づかぬうちに進行することが多い
今の世界は、日本は、大丈夫でしょうか。
始まる時は一気に進む、始まってしまったら誰も止められない。
* * * * * *
<編集後記>
私は父から戦前戦中のことを色々聞いている世代だけど、聞いているだけで恐ろしかった。映画を観て、あの時代はどこも一緒だったんだなと思ったらまたつらくなった。今ある自由が当たりに思うけれど、少なくとも親・祖父母世代は、他の国でも当たり前でなかったと知るだけでもよいと思う。
それにもう日本は絶対に戦争はしない、巻き込まれないという保証はどこにもない。そして、自分がこういう時代に生きていたら、勇気どころか、洗脳されて良心すら見失った行動をするかもしれなくて、自分は絶対にそうならないと言い切れない。
ついでに、ネタバレだけど、勇気のある人たちがたくさん居たことに救われる気持ちになるのと同時に、どうしてこんなにまともで勇気のある人たちが・・・・・。
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