台湾|猫鼻頭からバシー海峡方面を眺めて:戦没者のこと(屏東縣恒春鎮)

台湾最南端エリア・墾丁に行った時に立ち寄った猫鼻頭(マオビートウ)からの眺め。向こうに見えるのは台湾最南端の岬・鵝鑾鼻(オールアンビー:がらんび)。この先の海は、台湾海峡と、かつて「魔の海峡」「輸送船の墓場」と恐れられていたバシー海峡の境界点にあたるそう。


台湾・猫鼻頭からの眺め。 このエリアは、今も昔も日本にとって重要な航路。

1944(昭和19年)頃、既に制海権や制空権は米軍に抑えられ、このあたりも通過することは非常に危険な海域でした。当時の日本の艦船は輸送船も含め、次々とアメリカ海軍潜水艦の魚雷攻撃によって沈められ、その数は200隻を超え、戦死した日本兵は25万人以上と言われています。

撃沈されたのは輸送船だけではなく、長崎を目指し沖縄を出航した学童疎開船「対馬丸」などは有名ですよね。



このあたりで戦没した輸送船の中でも「玉津丸」は特に犠牲者が多く、5千名近く。
この美しい海に多くの日本人が海底に沈み、ここ猫鼻頭にも連日に渡って日本人の遺体が多数漂着、それを台湾の方々が引き揚げ、弔ってくださっていたそうです。
放っておくわけにはいかないとはいえ、この険しい地形、焼けつくような暑さと強い風、損傷の激しいご遺体、腕一本でもかなり重いと聞いたことがあるけど、心身ともに負担のかかる作業だったと思います。



玉津丸の犠牲者の慰霊を行っているのが「潮音寺」。
数少ない生存者・中嶋秀次さんが1981年にその半生と私財を投じて、この海峡で戦死した戦友たちのために建立しました。現在、参拝は事前連絡するか、慰霊祭などを行うときなどのみとなっているので、海に向かって静かに手を合わせるだけでもよいと思います。

潮音寺
http://choonji.org/desktopdefault.aspx

亡くなった方々も、苦しかっただろうし日本に帰りたかったと思います。中嶋さんは12日もの間漂流したそうですが、この12日間がいったいどんなものだったのか。
また、ご遺族は、当時は外で悲しみを見せることもできず、戦後も慰霊をする余裕もなかったかもしれないけれど、せめて一部の骨でも遺品でも本人のものを・・と願ったと思います。でも、海の底では手が届かない。
心より、ご冥福をお祈りいたします。ただ、ただ、合掌するしかありません。

「第二次世界大戦」とか「太平洋戦争」というだけあって、どこに行っても戦争の傷痕だらけ。旅に出たとき、身内がそこで亡くなったわけではなくても、その地に来てみたら、何だか気になったというのもご縁のひとつのような気がしています。

 

ところで、猫鼻頭ではこんな感じのものが頂けます。「林投茶」はうっすら甘くておいしかった。

多分、トビウオか何かだと思うのですが、頭部とヒレだけ取って揚げたもの。これを”おやつ”として食べられる胃袋はなかったため、見送りました。

やっぱり墾丁は10月でもかなり暑い!
暑くても食欲を落とさないだけの体力が必要かもしれません。


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【追記:2015年8月】
戦後70年、バシー海峡の戦没者慰霊祭が行われた。それに伴って、潮音寺と潮音寺を建立した中嶋秀次さんの記事が掲載されていました。

潮音寺は、昭和56(1981)年8月19日、バシー海峡で九死に一生を得た元独立歩兵第13連隊通信兵、中嶋秀次(ひでじ)(平成25年、92歳で死去)の強い思いによって建立された。
昭和19年8月、中嶋が乗船していた「玉津丸」と約30隻の船団はこの海域で米潜水艦の急襲に遭う。沈没までわずか5~6分。玉津丸に乗っていた仲間のほとんどがこのとき戦死した。中嶋の「地獄」はそこから始まる。何とか非常用のイカダにしがみついたが、非常用の水、食糧はわずかしかない。仲間が1人、2人と息絶えてゆく。
「正気じゃなくなるんです。『水をくれ』と狂ったようにわめいていたかと思うと突然、静かになる。見に行くともう、死んでいた」。
漂流12日目の夕方、奇跡が起きた。すでに意識がもうろうとした中嶋は、水平線の向こうに友軍の船を見つける。玉津丸の約5千人のうち、助かったのは中嶋を含め、たった8人だけだった…。
(引用:産経ニュース、2015年8月2日)

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【追記:2018年12月】
自分がどこに居るのかさえ、家族に知らせることさえも許されなかったあの時代。戦後、当時のことを知る家族も子どもや孫に話せないまま過ぎてしまった時間。もしかしたら、自分の親族があの船に乗っていたのでは?と思ったら、今はまだ記録が残っているため色々調べることができるようです。



●厚生労働省:旧軍人軍属の恩給、軍歴証明書に関する業務
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido04/index.html

●国立公文書館
https://www.archives.go.jp/

●戦没した船と海員の資料館
http://www.jsu.or.jp/siryo/

 

 

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