鹿港(ルーガン)の見どころのひとつ「九曲巷(ヂウシュイーシァン)」。細く曲がりくねった細い道にレンガ造りの高い壁。ここを曲がると、さっきまで目を開けているのがつらいほどの強い風と砂埃が嘘のよう。
このあたりは旧暦の中秋節が過ぎると、「九降風」という季節風がかなりの強さで吹き続けるため、強風や砂埃を防ぐため、わざとこうして曲がりくねらせて作ってあるのだとか。
寒い季節には防寒の役目も果たしているとか。なるほど、言われてみると少し暖かい。昔は出入り口に扉を設けていて、盗賊や強盗の侵入も防いでいたようです。仮にうまく侵入したとしても”袋の鼠”、そう簡単に逃げられなかったようですよ。昔の人の知恵とか互助の精神を感じますが、「相互監視」みたいな窮屈さは無かったのかな???
こんなに狭くても、原チャリも通ってますが(OKなんだ?)、ちょうどその上、渡り廊下のようになってる部分が「十宜樓」。
十宜とは「宜琴、宜棋、宜詩、宜酒、宜畫、宜花、宜月、宜博、宜煙、 宜茶」の十個の“宜”のこと。かつて、鹿港が港町として栄えた時期には、ここで毎晩、文人達が集まっては、月を眺め、詩を詠み、書、琴、酒、花、茶をたしなんだそうですよ。
奥へ行くほど、カーブは緩くなり道も少し広くなっていき、井戸場もありました。建物はかなり老朽化していて空き家もありますが、普通に人が住んでいます。
子供達が駆けずり回り、お守り役のちょっと年上のおねえちゃんが叱ったり、転んだ子をやさしく起こしてあげたり、一人で何人ものちびっ子達をよく面倒をみていました。昔の日本もこんな風だったんですよね。
中国でも台湾でも、ちょっと田舎の方へ行くとこうした光景は珍しくありません。戦前生まれの方は、戦中・戦後の貧しかった時代の、まだ幼かった弟や妹たちの姿をそこに見るような気がして、本当の懐かしさと慈愛がこみ上げてくるようですね。
過酷な時代を、少しでも人間らしくあろうと律したり、愛情を注いだりしながら、長く生き抜いてこられたからこその感情。そう思うと、私達のように豊かな時代に生まれ育った世代には、そこまで深い感情は味わえていないのではないか、と思ったりもします。
貧しさの中に豊かさがあって、豊かさの中に貧しさがあって。
私達の世代は後者かな。
途中、お金持ちが貧しい人のために造った井戸があったり、「摸乳巷(ムオルーシャン)」と呼ばれているすごく細い路地がありました。すれ違う時に女性の胸に、そのつもりがなくても触れてしまうほど狭いということから付けられたのだそう。
九曲巷(ヂウシュイーシァン)
https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003113&id=C100_438
鹿港に来たらここ、「阿振肉包 振味珍(ゼンウェイゼン)」。
現在8代目の老舗で、肉まんや中華蒸しパンが大人気。ここが世田谷の肉まん屋「鹿港」の原点だそう。
※東急世田谷線上町駅徒歩2分、あるいは世田谷駅徒歩4分。
オンラインショップもあります。
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