戦争や核について描かれたものとして再読・再視聴しておきたい作品。戦争や空襲の体験者の話を聴いていると感じる「自分は生き残って”しまった”」という感覚、「生死の境はいったいどこにあったのか」という疑問・・・。
そして、あのとき亡くなった人たちとの強い連帯感みたいなものを持ちながら生きてきたんだなと感じます。死者は過去の人・・と私達はつい思いがちだけど、本当に?
以下ネタバレします。
ストーリー
原爆投下から3年が経った広島。父や親友を亡くし、
「あん時の広島は死ぬるんが自然、生き残るんが不自然なことやったんじゃ」
「生きてるのが申し訳のうてならん」
と、生きてることへの後ろめたさを持ち続ける娘は、幸せになることを拒んで暮らしていた。
そこへ、原爆で死んだ父の幽霊が現れる。
「恋の応援団長」と称する父の幽霊と心の交流をしながら、娘は葛藤しながらも少しずつ未来に目を向けていく。
* * *
「おとったん、やっぱ居(お)ってですかあ」
と、驚きつつも安心し、声をかける娘。
「そりゃあ居るわい。お前が居りんさい言うたら、どこじゃろといつじゃろとわしは居るんじゃけぇのう。居らんでどうするんじゃ」
と、まずは娘を安心させる父親の幽霊。
(娘はあの原爆の日以来、雷の音にも脅えるようになっていた。)
ほんと、つらい記憶や罪悪感は人を幸せから遠ざけるものだなあと思いながら観てました。しかもその罪悪感は、自分も被害者なのに「自分だけ生き残ってしまった、助けられなくて申し訳ない」というところから来ているので、聴いている方も、とてもつらい。
多くの戦争体験者が同じように仰いますよね。
また、原爆投下の瞬間についても描写されており、幽霊となった父・武造(原田芳雄さん)は、原爆投下の瞬間をこう回想しています。
爆発から1秒あとの火の玉の温度は摂氏1万2千度じゃ。
あの太陽の表面温度が6千度じゃけえ、
あのとき、ヒロシマの上空580メートルのところに、
太陽がペカーッ、ペカーッ、2つ浮いとったわけじゃ。
頭のすぐ上に太陽が2つ、1秒から2秒並んで出よったけえ、
地面の上のものは人間も虫も魚も建物も石灯篭も、
一瞬のうちに溶けてしもうた。屋根の瓦も溶けてしもうた。
しかもそこへ爆風が来よった。秒速350メートル。
溶けた瓦はその爆風に吹き付けられて、いっせいに毛羽立って、
そのあと冷えたけえ、
こげえ霜柱のようなトゲがギザギザギザとたちよった。
原爆や核というものの恐ろしさ、現実に起こってしまったことの残酷さ、体験した人の心の中に渦巻き続ける感情、その後の人生。いかにも・・な設定ではなく、父と娘のおだやかな日常を舞台にしているというシンプルさが、様々なもの浮き彫りにしている、こころに響きます。映画では登場人物はたったの3人です。
原作・井上ひさしさんは本書に前口上として、
あの2個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。
と、書いています。また、2004年に映画化をした黒木監督の切なる願い。
世界で初めて原爆が広島と長崎に落とされました。
それは広島で14万人、長崎で7万人の命を一瞬にして奪い、その後も30万人の被爆者を後遺症で苦しめています。
(中略)今、地球上にある核爆弾は、1人あたり10トンを抱える計算になるそうです。この映画に少しでも共感してもらえるところがあって、将来的に100グラムでも200グラムでも核爆弾を減らすことに役立つとしたら、この映画を作った甲斐があると思うのです。
(引用)東方書店~北京便り
http://www.toho-shoten.co.jp/beijing/bj200410.html
この映画のメッセージは、アメリカや中国をはじめ、世界の様々な国に発信されました。本もいくつかの言語に翻訳されています。
『こよな別れが二度とあっちゃいけん、あんまりむごすぎるけえのう』
* * * * *
<編集後記>
原爆は、広島や長崎の町全体を一瞬にして溶鉱炉の中みたいな状態にしてしまいました。どうしてそんなひどいことになるのがわかっていて落とすのか。もうこの先どこにも落として欲しくありません。また、自戒を込めて言えば、被爆国の国民である日本人がどれだけ原爆や核の恐ろしさを理解し、それを世界に伝えていけるのかというと、疑問です。
余談ですが、ちょっとグリーフケアにもなったなあと思いました。
私の父は原爆で原因で亡くなったわけではないけど、父の死からまだ1年も経ってない私にとっては、ここに描かれた父の幽霊と生き残った娘のやりとりに、父亡き後の寂しさや分離感がちょっと癒される感じもしました。
死んだらどうなるのかとか、霊が居るとか居ないとかわからないけれど、傍にいるのかもしれないなあと。もうサボれないな、とか。
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