今年のクリスマス・イルミネーション。
毎年異なるものと変わらないものといろいろですが、見ていると年末なんだなーと思いつつ、ちょっと幸せな気分になりますよね。
| 日比谷ミッドタウン |
前にもボヤいた気がしますが、時代と共にツリーの飾りも変わっていくものですよね。
歳を重ねるほど懐かしいものが増えていく。「あのとき撮っておけばよかった」を減らしたい。
古い情報が多いので、ご参考程度に。
今年のクリスマス・イルミネーション。
毎年異なるものと変わらないものといろいろですが、見ていると年末なんだなーと思いつつ、ちょっと幸せな気分になりますよね。
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前にもボヤいた気がしますが、時代と共にツリーの飾りも変わっていくものですよね。
今回、予約は「夕食&朝食付き」にしました。夕食はこんな感じ。 このあとご飯とお味噌汁+デザートが出てきます。なかなかのボリュームです。
器もレトロ。どっしりしているけど、温かいものは冷めにくく、冷たいものもぬるくなりにくい。
ハトヤホテル内にはいくつかお店があるのですが、私が行ったとき唯一営業していた「Bar花」さん。昭和&平成前期には、こういうシブいバーはたくさんありました。何だか大人の世界という感じで、若い人同士で入れる雰囲気ではありませんでしたが。
だから、さほど思い出はないとはいえ、まさかこの令和の時代にお目にかかれるとは。天然木のカウンターやガラス扉の棚、高そうな洋酒の瓶、磨き上げられてキラキラ輝くグラス。どれも重厚感があって、カッコいいですよね。
前回に引き続き、ハトヤ宿泊記。タワー館の山側の和室10帖のお部屋です。床の間やサンルームがあるから、余計に広々した感じ。家族旅行や修学旅行、社員旅行や会合などの団体さんの利用が多かった時代の作りだなあという感じ。
前回からの続きで、ハトヤのロビーの画像です。ハトヤの名物のひとつ(?)!の渡り廊下は、本館と新館を繋ぐもので1968(昭和43)年に完成したそうです。
アーモンド形の窓枠を見て思ったのですが、1960年代の女性用の腕時計にアーモンド形のデザインのものが多数ありました。当時の流行だったのでしょうか。
関東圏ではお馴染み「伊東に行くならハ・ト・ヤ、 電話はヨイフロ(4126)」のハトヤに宿泊してきました。本館は、1957(昭和32)年、別館は1967(昭和42)年竣工。
本館はもうすぐ築70年。古いホテルに泊まるといつも思うのですが、敷地の使い方も、建物内も、かなりゆとりを持たせた空間の使い方です。徐々に慣れてしまったので気づかないけど、こうして古いホテルに訪れると時代が随分変わったのを実感します。
JR東日本の路線網の中で最南の「伊東」駅。JR東海道線は 熱海から沼津へ向かう本線と伊東行の伊東線に分かれ、伊東から以南は伊豆急行になるのですが、特にホームや改札を分けているわけでもなく、下田までSuicaが使えます。
伊東駅の駅舎は、1938(昭和13)年12月15日、鉄道省の伊東線が網代駅から開通したときに建てられたもの。2025(令和7)年の時点で、築87年。まだまだ現役です。
下田の見どころは海ばかりではなく、かつて栄えたであろう古き港町の面影が残る場所がありました。そのうちのひとつがここ「ペリーロード」。1853(嘉永6)年7月8日、江戸湾の入口である浦賀(神奈川県横須賀市)にペリー提督率いる黒船が来航、開国を要求しました。
その翌年の1854(嘉永7)年5月、日米和親条約(神奈川条約)を締結。その条約の中に、下田と箱館の2港を開くことと、下田は即時開港および領事の駐在を認めることも記載され、下田は鎖国以来日本で初めて開港された港のひとつとなりました。締結に至るまで、ペリー提督が約300人の部下を引き連れ、幾度にも渡る交渉のために実際に歩いた道が、このペリーロードなのだそう。
下田に来たら食べたいもののひとつが「金目鯛」。下田港は、金目鯛の水揚げ量が日本一だそう。真っ赤なボディと大きな目玉はかわいいけど、ちょっと他の鯛とは違う感じがすると思ったら、実は深海魚で水深200m~800mに生息しているそうです。
市内には金目鯛の料理を扱うお店はたくさんあるようですが、やはり市場で食べたいと思い、下田漁港にある「金目亭」に行ってきました。煮付けもおいしいけど、今回はお刺身です。